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広島・長崎 原爆の火

 1945年8月、第二次世界大戦は最後に核戦争となり、広島と長崎は人類史上最初の犠牲になりました。
一瞬にして二十万人近くの生命が奪われ、今なお放射能で多くの人が苦しんでいます。

福岡県星野村の山本達雄さんは軍人として広島市内に入り被爆しました。
同時に、書店を経営していた叔父さんを探しましたが消息はわからず、焼け跡の地下の書庫にくすぶっていた火を形見の火として懐炉に移し、故郷の星野村に持ち帰り、広島を地獄におとしいれた恨みの火、怒りの火として灯してきました。
この「広島の火」は、村長の提案により後に、核兵器のない平和な世界を呼びかける火、日本国憲法の心の火として星野村に灯されています。

1988年、「広島の火」は、長崎の原爆瓦から採火された「長崎の火」と合わされて、全国を巡る平和行進の先頭に掲げられ、ヒロシマナガサキアピール署名とともに、第三回国連軍縮総会に届けられました。
埼玉県にきた「長崎の火」は、新潟県長岡を行進中にもらい受けた「広島の火」と合火して県内を行進しました。
その後、原水爆禁止埼玉県協議会の依頼で、常泉寺の小山元一住職が灯し続け、毎年「広島・長崎の火」を囲むつどいが開催されています。

この火を永遠に灯して核兵器と戦争をなくす被爆者と日本国民の願いを語り広げるため、この地に「広島・長崎の火」モニュメントを建設しました。

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